ある日の講義から。講義メモ 2017.12.4

映像コンテンツ特論 概要

映画映像の歴史②

リュミエール兄弟の世界最初の映画から
「列車の到着 」
最初の映画はドキュメンタリーでもホームムービーでもなく、いわゆる劇映画の胎動であった。絵画や舞台演劇と映画の関係。

「工場の出口 」
多くのリハーサルを経て、着飾ったありったけの友人知人を集めて撮影されたこの映像は、いわゆる普通の労働者が工場から帰宅する日常の風景ではなかった。

「動画の科学」
ラスコーの壁画、映画の成立、モナリザの背景描写と映画史の重要な関係、エジソンとリュミエール兄弟の関係、蓄音機とキネトスコープと光学的回転テレビ、写し絵とマジックランタン、ジョナスメカスの考える映画の未来ほか。

「ニューシネマパラダイス」
40-50年代の 映画館(小屋)のドタバタや映画の楽しさを描いた作品。それと同時に個人映画の胎動や可燃性フィルムの悲劇にも言及するイタリアの傑作。メリエスを扱ったスコセッシのHUGOとセットで観ることを勧める。

「カメラを持った男」
ソビエトの国策映画に学ぶ。映画の眼とは何か?機械化文明を批判しながら自らも機械メディアに携わる矛盾と葛藤、冷徹な観察眼と慈愛の眼差しの両方を提示した映像作品。ドキュメンタリーまたは実験映画の源流。

「街の灯」
観客が笑いながら泣いてしまう重層構造を持った映画。今日のコメディやお笑いの手法やアイデアの素がここにある。トーキー時代を迎えても頑なにサイレント映画による表現に拘った傑作。特にこの映画のラストシーンは圧巻で、チャップリン自身の生い立ちがダイレクトに投影されている。人間不信、虐め、差別、女性や母性へのコンプレックス、人種差別、身体的な差別、経済的な差別、そして何よりも人間愛が見事に描写されている。観客がビターエンドともハッピーエンドとも受け取れる深みのある映画。
しかし、ピータークーベルカに言わせればたぶん「劇映画、商業映画で扱うには真面目過ぎるテーマ設定」と言うことにはなろうか。。

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