「演じる」こと、演技について思うこと


役者さんとお話することが多い。自身、特に演技について詳しい訳ではない。ただし、一点だけいつも気になることがある。多くのテレビドラマや映画などに疑問を感じる。

「役づくり」をするときに、その「設定」にこだわるあまり、その役の典型の部分だけに捕われることがある。ところが、我々普通の人間はいつも生活のなかで「役柄を演じている」といったらどうか。

会社や学校にいけば、社長や部長や上司や部下や、学生や先生を「演じて」いる。また、彼らが家に戻れば家族のなかで、子供や親や兄や妹を「演じて」いる。クラブ活動のなかでは先輩や後輩を「演じて」いるのだ。その時々によって人は「演じ」分けている。

つまりは映画の中で「役を演じる」というのは、いったんその別人格になってから、さらにその人格が演じている状況をそのうえで「演じる」ということだ。

半沢某や、のびたくんや、サザエさんはいつも同じ役どころを「演じて」いる強い人間だ。しかし、リアルな人間は周りの状況によって流され、「演じ」させられている、もっともっと弱い個性をもった生き物なのだ。

だから例えば、ある場所で、いじめる者が居て、いじめられる者が居て、その場に居て誰もそれを止められない現実があるのかもしれない。

皆にいじめられる人を見て、多くのいじめる人々のなかで、そのいじめられている人間を自分一人だけでも止められる「流されない」人間はどれだけ勇気があり、それはどれだけ尊い行いであることか。

 

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