メディア/道具 鉛筆論


いつも思う事がある。すべてのメディア(道具)は鉛筆に例えられると。

よく「俺はパソコン(あるいはソフト)を扱うのがうまい」「カメラを扱うのがうまい」という言葉を聞く。それは結局のところ全く中身の話をしていないという事に本人たちは気がついていない。

では「鉛筆を扱うのがうまい」という言葉を聞いた事があるだろうか?

そもそも鉛筆とは何のための道具か。字を書くため、絵を描くため、文章(俳句、小説ほか)を書くため、などか。鉛筆の使い方は無限で自由だ。そこに異論はないだろう。

そして、上記それぞれの『目的」そのものに優劣はない。鉛筆とはこうあるべしなどと言う者はいない。

翻って、パソコンソフトやスマートフォーンや、その他多くの道具や技術は「こうあるべし」とか「使うのがうまいからプロである」などともっともらしく唱える人々が巷に大勢居る。

「私は鉛筆が使うのがうまいからプロの物書きである」といったら人々は笑うだろう。

しかし、ひとたび「その道のプロ」が鉛筆を握れば、プロの小説家の文章に、あるいはプロのデッサン画に、「鉛筆を使う事」がだけがうまい輩(そんなのが存在するとすれば、だが)が太刀打ちできる筈もない。

つまりは鉛筆のような極めてシンプルなものを使わせたときこそ、プロと素人の差が歴然とするのである。

そして、その事に言及されるのが怖い者たちが「技術論」や「こうあるべき論」を振りかざす事が世の中には多い(もちろん例外もあろうが)

我々は何を目指すのか? 豊かな創造力を標榜するのか? あるいは単に時流に乗る事を目指すのか?

かつて、写植屋や自動車の運転が出来る(タクシーなどの乗車サービス提供という意味ではない)、カメラが写せる、などと威張る人がいた。彼らは、当時のそれらのもの「鉛筆」になぞらえて考えていたのか、どうか。そして、今振り返ってそのときの自分をどのように感じているのか…。

そういう極めて生活感のある「歴史的な問題」を我々はどのように今に置き換えて捉えて行くのか? それが大切な視点ではなかろうか?

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