HUGO -ヒューゴの不思議な発明-

HUGO (邦題はヒューゴの不思議な発明)を見た。これはハリウッド映画のエンターティメントであると同時に映画史実の貴重な再現フィルムでもある。
言うまでもなく、映画誕生と発展に関わったリュミエール兄弟とジョルジュメリエスをテーマにしている。物語の舞台がフランスの駅構内であることや、晩年のメリエスが駅の物売りをしていたこと、後に再評価されて現在に至るくだりなどほとんどが事実に基づいている。
何より、メリエスの風貌、その復元された初期の映画スタジオや撮影風景、最初の映画が公開された場面など、映画ファンなら涙なくしては見られない映画なの である。(この場合の涙とは三文悲哀場面に対するものでなく、映画好きからすると、フィルム文化の衰退に対するノスタルジーや「よくぞこれをやってくれ た」というような感情が入り交じったものである。)
スコセッシ監督はタクシードライバーの時代からロバートデニーロを発掘したり、最後の誘惑をアメリカの映画館で大反対運動が展開されるのなか見に行ったり、ずっと傑作を取り続けている監督として注目して来た。
そして、ここにきて彼が、自分自身が3D映画技術というターニングポイントに関わり、1900年初頭としては最新技術であった「映画」の誕生した時代というテーマに重ね合わせたことは、とても大きな意味があると感じさせる。
スコセッシにしても、一度飲みに行ったジムジャームッシュにしても、海外の映画監督はよく「映画(史)の勉強」をしている。映画誕生に関することや実験映 画や個人のドキュメンタリーのことなど、本当に良く知っている。(一部の優秀な)ハリウッド監督はハリウッドにおいてのみ熟成された訳ではない。
翻って我が国の映画映像産業はどうなのか?
日 本の映画監督や大手映画会社やテレビ局の人間が、こういう題材を映画化しようとは絶対に言い出さないだろう。その意味でも溜飲がさがる。(稚拙ながら、自 身の動画の科学シリーズにわずかながらその辺の史実を映像化したものがあるがほとんど埋もれている。これも国内でなく、海外で賞をいただいた。)
彼らが企画し、あるいは企画書にハンコを押すのはアイドル(または芸能人や既に芸能人扱いされている役者)が出演して、あるいは漫画(あるいは原作やテレ ビ版)が既に何部(何%)売れたということでしか議論しない。(この点については異論があれば、ぜひ反論いただきたい)
スコセッシ自身も老境を迎えて、あるいは彼の、実は集大成の作品を完成させたのではないだろうか。
久しぶりに「してやられた!」というような思いがわき上がってくる二時間だ。なんていってもこの映画は監督でもある彼自身が「プロデュースした映画」なのだ。
そ して、この映画はアカデミー賞を5部門受賞している。この映画を例えば、すべてのクレジットと情報を隠して日本アカデミー賞に出品したらひとつも賞が取れ ないだろう。(この点についてもぜひ反論いただきたい)なんと言ってもこの作品にはデニーロもアンジェリーナジョリーも出てこなくて、誰の大恋愛も大冒険 も派手なアクションもない映画なのだから。

http://www.hugo-movie.jp/

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